心に残る風景~陸羽西線津谷駅と鮭川鉄橋の巻

アラ還からの贈り物

こんにちは、アスナロです。
わたしは会社を定年退職した60代男性で、現在第二の人生を楽しんでいます。
わたしぐらいの年齢になると人生経験も少しは豊富になり、みなさまの参考になる情報を提供できるかもしれません。
つたない文章でまことに恐縮ですが、年甲斐もなくブログをやっています。

心に残る風景~陸羽西線津谷駅と鮭川鉄橋の巻

みなさまは、山形県の陸羽西線に乗ったことはあるでしょうか?
陸羽西線は、山形新幹線終点の新庄駅と庄内平野の中心都市酒田駅まで総延長55.2㎞の路線です。
正式には、途中の余目駅までが陸羽西線で、ここから酒田駅までは羽越本線なので、新庄‐余目間だけでは43.0㎞となります。
線路は、急流で有名な最上川に沿って走ります。非常に景色が良いところです。
2024年6月現在、幹線道路工事のため、長期運休中で、再開は、2024年度末頃になるとのことです。

陸羽西線津谷駅

津谷駅は、新庄駅から3つ目の駅です。
升形駅、羽前前波駅を過ぎ、いくつかトンネルを抜け、最上川の支流である鮭川鉄橋を渡ると津谷駅に到着します。

アスナロが、初めて津谷駅を訪れたのは、1963年秋、4歳だった時です。
ディーゼルカーを降りたアスナロたちは、駅員に、反対方向の列車がまもなく津谷駅に到着しないか確認します。

道路事情の悪かった当時、津谷駅から目的の岩清水村に行くには、今列車で渡ってきた鮭川鉄橋を徒歩で渡る必要があったのです。

線路の間に長い板を敷いていて、人は、その板の上を歩いて、川の向こう側に行くのです。橋には手すりがなく、しかも、板は隙間だらけで、歩く人は、自分の足の下を流れる水量が多い鮭川の流れが見えるのです。

距離的には、たぶん50~60mぐらいですが、大人でも歩くのが怖い鉄橋なのです。
この鉄橋を渡らなければ、ずっと下流にある道路橋まで迂回しなければなりません。
だから、岩清水村のほとんどの人は、この鉄橋を渡るのです。

鮭川鉄橋

1963年秋、新庄駅から列車で津谷駅に到着したアスナロたちは、線路沿いの小道を鮭川に向かって歩きます。500mほど歩くと、鮭川鉄橋のところに着きます。

そこでしばらく休憩です。酒田発新庄方面行の列車がまもなく鮭川鉄橋を通過するのです。単線の陸羽西線ですから、鉄橋の真ん中で列車が来ると、逃げる場所がありません。さっき、駅員に、反対方向の列車が来ないか確認したのは、このためだったのです。

ファーーーーン
新庄方面行列車が、津谷駅を発車したようです。
まもなく、列車の走る音が大きくなり、そして、鮭川鉄橋を渡って行きました。

いよいよ、鮭川鉄橋を歩いて渡る時がきました。
周りの人「ボク、大丈夫かい?歩いて渡れるかい?」
アスナロ「・・・」(緊張)

アスナロは、手をつないでもらって、一歩ずつ、一歩ずつ歩きます。
1歩、2歩、3歩・・・

足元に川の流れが見えます。
向こう岸は、まだまだ先です。

5歩、6歩、7歩・・・

アスナロ「ムリ~」(大汗)

ということで、大人の男の人におんぶしてもらって、ようやく向こう岸にたどり着いたのでした。

まとめにかえて

この記憶は、61年経った今でも、はっきりと覚えています。
幼稚園に行く前の幼子には、とても強烈な経験でした。

2024年夏、アスナロは、この思い出の地を訪れる計画を立てています。
今では、近くに道路橋が完成しており、鉄道の鉄橋を歩くことはできません。
鮭川鉄橋の袂まで行き、心に残った思い出の風景を楽しんで来ようと思っています。

みなさんも、遠い昔の心の風景を、訪れてみてはいかがでしょうか?

今回は、「心に残る風景~陸羽西線津谷駅と鮭川鉄橋の巻」をお話しました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

あすなろぐ

こんにちは!
わたしは会社を定年退職した60代男性で、現在第二の人生を楽しんでいます。
現在マンション住まいで、ヨメ、ムスメ、ビーグル犬ランの4人で暮らしています。ほかに結婚で独立したムスコが2人います。
わたしぐらいの年齢になると人生経験も少しは豊富になり、みなさまの参考になる情報を提供できるかもしれません。『アラ還からの贈り物』、『マニアックな趣味』をテーマに記事を書いています。いっぱい写真を貼っているので、写真だけでもご覧くださいね。
どうぞよろしくお願いしまーす!

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