こんにちは、アスナロです。
わたしは会社を定年退職した60代男性で、現在第二の人生を楽しんでいます。
わたしぐらいの年齢になると人生経験も少しは豊富になり、みなさまの参考になる情報を提供できるかもしれません。
つたない文章でまことに恐縮ですが、年甲斐もなくブログをやっています。
『特急くろしお』の皇太子殿下
今回は、昭和46年、中学1年生だったアスナロが、『特急くろしお』で和歌山国体に向かう皇太子殿下、美智子妃殿下を目撃した(?)時のお話をしますね。
昭和46年9月4日。今日は土曜日で半ドンだ。
午後、アスナロが近所で遊んでいると、友達が、
「今日、皇太子さまと美智子さまが阪和線で和歌山に行くらしいよ」
「なんで?」とアスナロ。
「明日から始まる和歌山国体の開会式に出席するんだって」
「へぇ~」
「これからみんなで見に行こう!」
ということで、夕方アスナロは仲間と国鉄阪和線東佐野駅のすぐ横の線路沿いまで見に行くことにした。翌9月5日から沖縄を除き日本で最後に開催される第26回和歌山国体夏季大会が始まるのだが、皇太子さまが開会宣言をするらしい。
阪和線の線路のところに着くと、すでに10人以上集まっており、私たちも線路のすぐ前で待機した。おばさん連中は、
「『特急くろしお』だから速くて見えないかも。でも見たいねぇ~」
と言っている。
しばらく待っていると、踏切が鳴りいよいよ『特急くろしお』が近づいてくる。
ファーーーーーン!
天王寺駅16時ちょうど発、新宮行き『気動車特急くろしお6号』は、東佐野駅のかなり手前から続く長い坂を懸命に登ってきて、私たちの前を比較的ゆっくりな速度で通過していく。
当時の時刻表で確認すると、『特急くろしお6号』は7両編成で、前から指定席の7号車、6号車、5号車と続き、次の4号車は食堂車、そしてグリーン車の3号車と2号車、最後に指定席の1号車となっている。食堂車の隣の3号車は警護上リスクがあるので、おそらく皇太子殿下と美智子さまは6両目の2号車にご乗車になっているのだろうと推測される。
ブゥーーーーーン!
エンジンを吹かしながら『特急くろしお』は坂を登ってきて、東佐野駅に差しかかる。速度はかなり落ちている。私たちはみんな息を潜めて目を凝らし、『特急くろしお』の中を見つめる。日の丸の小旗を持ってきたおじさん、おばさんたちもみんな目を大きく見開いて必死で見ている。
ガタン、ガタンガタン!
1両目通過。中の人はよく見えない。
ガタンガタン!
2両目通過。やはり、わからない。
ガタンガタン!
3両目通過。全然、わからない。
ガタンガタン!
4両目。食堂車だ。
ガタンガタン!
5両目通過。う~ん。わからない。
やっぱり見えないのか?
…
ガタンガタン!
6両目!
何か、スーツを着て、手を振っているような人影が見えた…
そして、その隣には女性が座っていて、やはりこちらを向いて手を振っているように見えた…
ような気がした…(汗)
ガタン!
最後の7両目通過。
ブゥーーーーーン!
エンジンを吹かしながら『特急くろしお』は坂を登り切り、そして車両の下のほうから姿を消していき、まもなく見えなくなってしまった。
…
私たちは、お互い顔を見合わせた。
そして、しばしの沈黙のあと、
「見えた?」
「わからなかったー」
「もう少しゆっくり走ってくれたらなあ~」
「う~ん…」
口々に感想を言い合いながら、ぞろぞろ帰って行くおじさん、おばさんたち。
手に持った日の丸の小旗も、少し萎れているように見える。
まだ12歳で動態視力がたぶん良かったであろうアスナロも、はっきり見たという自信はないが、あれから50年以上経ち、令和5年になった今でも、2号車のグリーン車でこちらを向いて手を振っていたスーツ姿の男性は皇太子殿下、今の上皇さまに違いないと信じている。そして隣で手を振っていた女性は、美智子さまに違いないと思っている。
あれから約50年…
平成の時代は飛ぶように過ぎ去って、早くも令和5年になった。
最近、YouTubeで、昭和46年和歌山国体で開会宣言をする皇太子さまの動画を見た。当然今より若々しいけれど、天皇になり、上皇になった今のお声とそれほど変わらない感じがした。
今回は、昭和46年、中学1年生だったアスナロが、『特急くろしお』で和歌山国体に向かう皇太子殿下、美智子妃殿下を目撃した(?)時のお話をしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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