こんにちは、アスナロです。
わたしは会社を定年退職した60代男性で、現在第二の人生を楽しんでいます。
わたしぐらいの年齢になると人生経験も少しは豊富になり、みなさまの参考になる情報を提供できるかもしれません。
つたない文章でまことに恐縮ですが、年甲斐もなくブログをやっています。
初めてのヨーロッパは、イタリアがいいですよ~【フィレンツェ・ローマ編】
今回は、ヨーロッパに行ったことがない方を対象に、『初めてヨーロッパに行くなら、フランスやドイツよりイタリアがおすすめですよ~【フィレンツェ・ローマ編】』というお話をしますね。【ミラノ・ベネチア編】に続く後編です。
ルネサンスの中心フィレンツェ
イタリア旅行3日目の午後、ベネチアからバスで4時間ほど走り、夕方フィレンツェに到着です。
街並みを一望できる小高い丘に登り写真を撮ります。ドゥオモやジョットの鐘楼などが遠くに見え、まさに絵葉書みたいなすばらしい景色です。ネスカフェのCMにも出ていたらしいです。
そしてバスは本日と明日連泊するスターホテル・ミケランジェロに到着します。
4日目、フィレンツェ観光スタートです。
まずベッキオ橋に行き写真を撮ります。街全体が美術館か博物館のようで、とても住人が普通に暮らしているとは思えないくらい素晴らしい景色です。
そしてウフィツィ美術館に入ります。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッチチェリ、ラファエロといった世界史ファンならたまらない作品群が、『これでもかー!』というぐらいたくさん並んでいます。たくさんあり過ぎてとても1日では見ることができません。添乗員さんについて行き、有名な絵を中心に見て回ります。売店でボッチチェリの『ビーナスの誕生』が表紙に描かれているノートを1冊記念に買いました。
中華料理の昼食をとった後、午後は自由行動です。
アスナロとヨメは、ドゥオモを間近から見ることができるジョットの鐘楼に登ることにしました。
ジョットの鐘楼は高さ85m、階段が414段もあります。
とても狭い階段を登り始めます。なぜかヨメの足元が覚束ないような気がします。
中2階に着いたとたん、
ヨメ「私はここで待っているから登ってきて~。」
と半分笑いながら言います。
ヨメ「昼ごはんのとき飲んだビールが回ってきたみたい~。」
ヨメは中2階の木のベンチに腰を下ろし、隣に座っているドイツ人女性と身振り手振りで話をしています。
ヨメ『階段が急でしんどいですね~。』
ドイツ人女性『ほんと、狭い階段だし~。』
ヨメ『ああ、エレベーターがほしいな~。』
ドイツ人女性『昔の建物だからそれは無理よ~。』
ヨメ『主人に、ひとりで登ってきてって言ったの~。』
ドイツ人女性『わたしもよ~。』
ヨメ「あはは…」
ドイツ人女性「あはは…」
みたいなことを、身振り手振りでしゃべって笑っています。
『言葉が通じなくてもコミュニケーションできるんだ。うちのヨメはすごい!』と恐れ入ったアスナロでした。
一瞬、『ヨメをこのまま一服させてやろうかな。』とも思いましたが、はるばる遠い日本からやってきて、せっかく大聖堂が目の前に見られるのに、こんな薄暗い中2階のベンチで休んでいるのはもったいないので、私はヨメの手を握り最上階目指してせまい階段を登っていきました。
アルコールの入ったヨメは途中何度もよろけながら、せまい階段を上から降りてくる人と譲り合いながら、最上階を目指して登っていきます。そして、ついにジョットの鐘楼の最上階に着きます。窓の外すぐ近くにドゥオモの立派な建物が見えます。
ドゥオモは92mの高さがあり、1296年からなんと172年もかけて完成させた建物だそうです。建て始めた時の人たちは、完成を見ぬ間に寿命が尽きていることになります。人生すべてが建築途中だった人もいます。気の遠くなるような時間の長さですね。
ジョットの鐘楼から降りて、街をブラブラします。
この日のフィレンツェは真夏の太陽が燦燦と輝いて非常に暑く、のどの渇きを覚えます。日本ならコンビニに入るところですが、残念ながらフィレンツェには存在しません。私たちは喫茶店を探すために歩き回って、やっとデパートに入りました。
冷房の効いた喫茶ルームは満員でがっかりでしたが、屋上のテラス席は空いていました。屋上は暑かったけれど、大きな扇風機があったので、私たちは扇風機の近くの席に座り、フレッシュジュースを注文します。ジュースは7ユーロ(約1,000円)もしましたが、新鮮で冷たくて生き返った感じがしました。
ヨメ「こんなにおいしいフレッシュジュースは初めてだね~!」
アスナロ「最高でーすっ!」
デパートの屋上から通りを眺めます。
街全体が整然と同じレンガ色の建物が並んでおり、まるで美術館か博物館の中にいるようです。
水分を十分補給したアスナロたちは、川沿いをテクテク歩いてグッチ本店とフェラガモ本店に行ってみました。店の中から髭の男性がこちらを見ています。アスナロたち庶民には急に敷居が高くなり入りづらくなったので、店の看板の前で写真だけ撮って早々に引き揚げました。
夜、この旅行で親しくなったY夫妻とピザを食べにいきました。
ピザ専門店ではなかったけれど、なかなかおいしいピザでした。
店を出て通りを少し歩きます。フィレンツェは夜でも治安がいいので安心です。
ライトアップされたドゥオモとジョットの鐘楼が幻想的に輝いています。
『自分たちは、いま本当にフィレンツェにいる!』と改めて感動した瞬間でした。
ドゥオモ前からホテルまでタクシーに乗りました。
観光地のタクシーは、道路にはみ出ている歩行者にクラクションを鳴らしながら裏道を飛ばすイメージがあるのですが、フィレンツェのタクシーはそうではありませんでした。
せまい道路をふさぐように歩行者がいても決してクラクションを鳴らさず、歩行者がタクシーに気づいて避けてくれるまでゆっくり歩行者の後を歩くように走るのです。
日本なら自分のお客さまが一番大事ですから、目の前の邪魔な歩行者をクラクションで蹴散らせながら走ってしまいそうですが、そんなことは決してしないのです。
フィレンツェに来ているのはみなお客さまという意識があるのかもしれません。とにかく優しい運転なのです。
イタリア人はお調子者で、いいかっこしいで、女たらしが多いといったあまり良くないイメージがあったのですが、今回の件で見直しました。やはり先入観や思い込みはいけないですね。『実際に経験しなければ本当のことはわからない。』と改めて気づいたアスナロでした。
永遠の都ローマ
5日目、朝からローマに向かって出発です。
イタリア半島の背骨みたいなアペニン山脈を縦断し、オリーブ畑を眺めながらバスで4時間かけてローマに到着します。
いよいよローマ観光スタートです。
まずバチカン美術館に入り、システィーナ礼拝堂にある『最後の審判』を見ます。
壮大な天井画にアスナロたちは圧倒されました。真上を見上げるので、後ろにひっくりかえりそうになります。
そしてバチカン市国にあるサンピエトロ大聖堂のミケランジェロ作『ピエタ』を見ました。
ミケランジェロは生涯4つのピエタを作っていますが、このサンピエトロ大聖堂のピエタは最も出来栄えのいい作品だそうで、1498年から作り始めて完成は1500年と言われています。2年もかかって作った大作なのですね。
続いて、ベネチア広場やサンタンジェロ城を車窓から見学しました。
サンタンジェロ城は、西暦135年五賢帝のひとりハドリアヌス帝が建造したとのことです。ローマ帝国全盛期のお城です。日本の歴史では卑弥呼が登場する100年ぐらい前の時代なのですね。永遠の都ローマはスケールが違います。
6日目は終日自由行動です。
今日も天気は快晴、とても暑いです。
このブログの読者に最も伝達したいのは、イタリアには真夏は行かない方が良いということです。湿気が少なく確かに日本のように蒸し暑くはないけれど、アフリカから吹いて来る南風が半端なく暑いです。雲一つない快晴の日が続き、体力を消耗します。
アスナロ夫婦は、ホテルに近いテルミニ駅から地下鉄B線に乗り、2つ目のコロッセオ駅で下車します。
駅の出口を出ると、コロッセオがドーンと目の前に現れます。その大きさにびっくりです。大阪でいえば、梅田駅から地下鉄御堂筋線に乗り2つ目の本町駅の出口を出たら、甲子園球場みたいなコロッセオが駅前にドーンとあるようなものです。
ローマは古代と現代が同居している不思議な街です。
コロッセオ。西暦80年、ヴェスパシアヌス帝が建造しました。
ここは明日ツアーの団体で入場するので、外観だけ写真を撮り、徒歩でフォロ・ロマーノに向かいます。
フォロ・ロマーノ。古代ローマの政治の中心地です。
ここは周辺の道路より低い位置にあります。道路からフォロ・ロマーノ全体を一望できるのです。通常どこの国でも政治の中心地は水害の心配のない小高い丘の上にあるのが常識ですが、フォロ・ロマーノは逆に丘に囲まれた低い場所にあります。なぜなのでしょうか?
現地に行った時は特に疑問に思わなかったのですが、後日気になって調べてみると、共和制時代のローマで周辺の丘に住んでいた人たちが、会合や会談の場としてみんなが集まりやすい中立的な低地の原野が選ばれたことによるらしいのです。
フォロ・ロマーノの中に入ります。
2000年ぐらい前の建築物で、土砂に埋もれていたのを発掘したので、中には柱しかないものもありますが、教科書で習った元老院の建物などが残っており世界史ファンのアスナロにはとても魅力的な場所でした。
フォロ・ロマーノを訪れた日は8月8日。雲一つない猛暑で、日向にいるとめまいがしそうです。アスナロたちはなるべく日陰を探して休憩しながら古代の景観を楽しみました。
フォロ・ロマーノを堪能した後、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂に行き、屋上のテラスでフレッシュジュースを飲みました。快晴のローマの景色を眺めながら、優雅なローマの休日を楽しみます。
アスナロとヨメは、映画の中のグレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーンになり、セリフが自然に出てきます。
ヨメ(ヘプバーン)「ずっとしたかったことができるわね!」
アスナロ(ペック)「どんなこと?」
ヨメ(ヘプバーン)「あなたにはわからないと思うけど、したいことをするの。一日中ね!」
映画の中から現実世界に戻ってきたアスナロたちは、有名なトレビの泉とスペイン階段に向かいます。
トレビの泉では、後ろ向きにコインを投げ入れます。1枚だけ投げたので、再びここにくることができるそうです。
ヨメ「もう一度ローマに来たいね~」
アスナロ「はい!頑張ります!」
それにしても暑いです。またのどが渇いてきます。
喫茶店を探しましたがなかなか見つかりません。からだ中から汗が出て、干からびそうになってきます。
ガイドブックで見つけたコーヒー店にやっとたどり着きました。
そこはアンティコ・カフェ・グレコという有名なコーヒー店で、1760年創業のローマで一番歴史のあるカフェでした。髭のウエイターがメニュー表を持ってきます。
また髭です。
イタリア語はさっぱりわからないので、適当にメニュー表を指し示して注文しました。
髭のウエイターがエスプレッソを持ってきました。量が極端に少ないです。
ヨメ「なんて少ないの!それにとても濃い!」
アスナロ「まぼろし~。」(汗)
濃い顔立ちの髭ウエイターが濃いコーヒーを持ってきたのです。
冷ましてから一気に飲み干します。これでは全然のどの渇きがおさまりません。美術館みたいな店内はとても素敵だったけれど、雰囲気を楽しむ余裕はありませんでした。
スパーナニャ駅からテルミニ駅まで地下鉄A線に乗り、一旦ホテルに戻って休息です。
夕方、徒歩でローマ三越店に行きお土産を買いました。
ヨメはBALLYのバッグ。ムスコ2人はベルトとACミランのユニホーム。ムスメにはビビアンの財布。アスナロ自身は、気に入ったものがないので何も買いませんでした。そのローマ三越店は2021年7月10日、46年の歴史に幕を下ろしました。日本語が通じるのでお土産を安心して買える店でした。とても残念です。
夜、アスナロは腹痛で苦しみました。ひどい下痢です。
日中かなり暑かったので、軽い日射病になったのかもしれません。
Y夫婦に夕食を誘われていましたが、行けそうもなく断りました。楽しみにしていたヨメには申し訳ないことをしたと思っています。
7日目、最終日。
コロッセオの中に入ります。入口に太い柱があったので、思わず抱き付いてしまいます。
ヨメ「何してるの~?」(あぜん)
アスナロ「…」(汗)
高校の時、世界史で勉強したあのコロッセオを目の前にして、何十年も会えなかった恋人のごとく思わず抱き付いてしまったのです。
コロッセオは西暦80年からここにドーンと建っているのです。約2000年後、遠い日本からやってきた男の人にいきなり抱き付かれるとは、当のコロッセオちゃんも想像していなかったでしょうね。
そして、昨日も行ったトレビの泉とスペイン階段に行きます。
昨日トレビの泉で後ろ向きにコインを1枚投げ入れたので、早速2回目の訪問が実現したということです。スペイン階段もそうですが、何度来ても素晴らしいところです。
これで今回のツアーはすべて終了です。
ローマ空港の免税店でアスナロ自身用のボッテガ・ヴェネタの小銭入れを買いました。小さいのにすごく高かったです。この小銭入れは大変気に入り、今でも大事に使っています。
まとめ
・イタリアは、1861年に統一されるまでは、ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマはそれぞれ別の国でした。当然文化も違いますし食事も違います。
・また、栄えた時代が違います。ローマは、紀元前3世紀ぐらいから紀元後3世紀くらいまでが全盛期。ベネチアは、11~14世紀ぐらいが全盛期。フィレンツェはルネサンスの14~16世紀が全盛期。ファッションの街ミラノは、現代イタリア経済の中心地。このように栄えた時代はまったく違うのです。
・単にイタリア旅行というと、イタリア1か国の旅行のように聞こえますが、実際には、ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマの旧4か国周遊旅行というのが正解なのです。
・イタリアには真夏は行かない方が良い。湿気が少なく日本のように蒸し暑くはないけれど、アフリカから吹いて来る南風が半端なく暑いです。雲一つない快晴の日が続き、体力を消耗します。
『初めてヨーロッパに行くなら、フランスやドイツよりイタリアがおすすめですよ~』はいかがでしたか?イタリアに行ってみたくなりましたか?
コロナ禍が終わって普通に海外旅行に行けるようになれば、是非イタリア旅行に行ってみてくださいね!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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