初めてのヨーロッパはイタリアがいいですよ~【ミラノ・ベネチア編】

アラ還からの贈り物

こんにちは、アスナロです。
わたしは会社を定年退職した60代男性で、現在第二の人生を楽しんでいます。
わたしぐらいの年齢になると人生経験も少しは豊富になり、みなさまの参考になる情報を提供できるかもしれません。
つたない文章でまことに恐縮ですが、年甲斐もなくブログをやっています。

初めてのヨーロッパは、イタリアがいいですよ~【ミラノ・ベネチア編】

今回は、ヨーロッパに行ったことがない方を対象に、『初めてヨーロッパに行くなら、フランスやドイツよりイタリアがおすすめですよ~』というお話をしますね。
前編は【ミラノ・ベネチア編】です。
  
2013年8月、アスナロとヨメは初めてヨーロッパに行きました。
行先はイタリアです。
アスナロは高校生の頃から世界史が好きで、特にローマ時代やルネサンスの時代が大好きで、今回イタリア旅行が決まったときから、ワクワクドキドキは半端ではありませんでした。

初めてのヨーロッパ旅行をイタリアに決めた理由

初めてのヨーロッパ旅行を、フランスやドイツではなくイタリアに決めたのは次の理由からです。

フランスなら、定番のパリ周辺とモンサンミッシェル中心の旅行になると思います。
パリ周辺だけでも観光対象がかなりあり、モンサンミッシェルに行く日以外はパリに滞在することになります。それでもいいのですが、せっかく8日間のツアーで行くのですから、ある程度場所を移動してみたいなあと考えました。

場所を移動したいのならドイツもいいかもしれません。ロマンティック街道を移動するルートが定番ですから。でもドイツはどこに行っても文化が同じで、食事もほぼ同じだとJTBの方から伺いました。場所は移動するものの、同じ文化・同じ食べものでは飽きてくるかもしれませんね。

ではイタリアはどうなのでしょうか?
イタリアは1861年にサンディニア王のヴィットリオ・エマヌエーレ2世によって統一されるまでは別々の国でした。ゴールデンルートのミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマ、これらはみな別の国だったのです。ちょうど戦国時代の日本のような感じですね。

当然文化も違いますし食事も違います。ミラノ、フィレンツェは内陸の国なのに対し、ベネチアは海洋国家です。食べものは海のもの中心になります。

また、栄えた時代が違います。
まずローマは、紀元前3世紀ぐらいから紀元後3世紀くらいまでが全盛期で、同時代に栄えた中国の漢と並ぶ巨大国家でした。

ベネチアは、11~14世紀ぐらいが全盛期で、1202年から1204年の第4回十字軍ではベネチアを中心に編成された軍隊が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)を攻略し、戦利品をたくさん奪ってきました。アスナロはベネチアのドゥカーレ宮に展示されている十字軍の戦利品を多数目撃しています。

フィレンツェはルネサンスの14~16世紀が全盛で、ルネサンスの中心地として、ボッチチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍しました。イタリア統一後、1865年から6年間ほどイタリア王国の首都になったこともあります。

そしてファッションの街ミラノは、現代イタリア経済の中心地です。

このように栄えた時代はまったく違うのです。
単にイタリア旅行というと、イタリア1か国の旅行のように聞こえますが、実際には、ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマの旧4か国周遊旅行というのが正解なのです。

アスナロとヨメが初めてのヨーロッパ旅行をイタリアに決めた理由はこうしたことからでした。

イタリア旅行に出発!関空→ローマ経由→ミラノ

突然ですが、さあ、アスナロたちと一緒にイタリア旅行、いやミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマの旧4か国周遊旅行に出発しましょう!

今回の旅行ルートは、関空からローマ乗り換えでミラノまで飛び、そこで1泊。イタリア国内はバスで移動し、ベネチアで1泊。フィレンツェで2泊、ローマで2泊の計6泊8日のイタリア半島縦断ゴールデンルートとなります。

ヨメ「ルンルン!イタリア旅行に出発ーっ!」
アスナロ「ルンルン!」

関空発日本時間13時30分発のアリタリア航空で出発です。
途中富山、北海道西方の日本海、ハバロフスク、イルクーツク西、北極圏、モスクワ西、ポーランド西、オーストリア、ベネチア上空を通過して、日本時間午前2時30分、現地時間19時30分にローマに到着です。実に13時間のフライトです。
そしてミラノ行きの国内線に乗り換え、約1時間のフライトでミラノに22時に到着、ホテルに着いたのは23時を過ぎていました。

ヨメ「ふぅ~やっと着いたね~。」
アスナロ「やれやれ~」

アスナロたちは、やっとホテルの部屋に入り腰を下ろしました。
腰を下ろした次の瞬間、事件が起きました。
突然部屋の電気がすべて消えたのです。

部屋の中は真っ暗。手探りでドアを開けると廊下の電灯も消えていて、非常灯の灯りしかありません。隣の年配のお姉さん方の部屋も電気がつかないらしく、廊下に出てきました。
早速添乗員に連絡し、ホテルに苦情を言ってもらいましたが、なかなか復旧しません。疲れたので早くシャワーを浴びて寝たいのに真っ暗で着替えることもできません。

『そう言えば今日はついてなかったなあ。』
というのは、関空からの飛行機は奮発して少し上等なシートを取ったのですが、座席で見られるはずの映画が音声故障のため見ることができなかったのです。折角いい席を取って優雅に映画を見ながら欧州行きを楽しもうと思ったのに幸先が悪いです。

さらに、食事を運んでくるウエイターは愛想が悪く、食事についているコーヒーを入れてもらう時、イタリア語がわからないのできょとんとしていると、顔の彫りが深いそのウエイターはアゴでコーヒーカップをそこに置くように指図するのです。日本人ならそんなことは絶対しません。どこの世界に乗客に向かってアゴで指図するウエイターがいるのでしょうか?イタリアでは普通のことなのでしょうか?あるいはそのウエイターだけの特別なことなのでしょうか?よくわかりませんが。
こんなふうに今日は飛行機で2つもいやなことがあったのです。

ヨメ「しまいに怒るで~。プンプン!」
アスナロ「プンプン!」

そしてホテルに着いたとたんの停電…
『二度あることは三度ある』のことわざどおり、悪いことは3回起こったのです。

30分~40分ぐらいか、あるいはもっと時間がかかったかもしれません。結局停電は直らず、私たちは別の部屋に引っ越すことになりました。

ホテルのボーイがやってきて、『カモン』と言ってスーツケースを運んでいきます。
日本のホテルなら責任者みたいな人が飛んできて平謝りするシーンですが、イタリアではお詫びの『お』の字もありません。日本が特別なのか、イタリアがおかしいのかよくわかりませんが、アスナロは日本に生まれて良かったとしみじみ思ったものです。
日本を出発してから18時間以上経ってやっと電気のつく部屋に入れました。
時刻は深夜12時をかなり回っていました。
  
ヨメ「バタン!キュー。」
アスナロ「バタン!キュー。」
  

  

ファッションの街ミラノ

  
翌朝、イタリアで初めての朝食です。期待しながらレストランに行きます。
バイキングと聞いていたので、日本のホテルのような多種多様な料理を想像していたのですが、コーヒー、パン、ウィンナーしかなくアスナロたちはみんながっかりです。

ヨメ「たった、これだけ~!?」(汗)
アスナロ「まぼろし~。」(汗)

後からレタスが追加で運ばれてきました。
添乗員さんに聞くと、こちらの人は朝食で誰も野菜を食べず、コーヒーとパンとウィンナーがあればみんな満足するらしいのです。誰かが文句を言ったのかもしれませんが、日本人ツアー客がたくさんいるということで特別にレタスを出したみたいです。
 
朝食がかなり残念でしたが、気を取り直していよいよミラノ観光スタートです。
まず、スフォルツェスコ城という中世の城の中庭を見学した後、スカラ座博物館に入ります。アスナロはオペラを見たことがないのであまり感動しませんでしたが、とても重厚な造りの立派な劇場です。オペラ好きの人にはきっと聖地のような場所なのでしょうね。

次にヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリアのアーケードを訪れました。
アーケードの地面に描かれた雄牛の急所をかかとで踏みしめながら3回まわってお願い事をすれば願いが叶うとのことで、急所のところがすり減っています。
アスナロたちもやってみました。でも何をお願いしたかは忘れました。これでは願い事が叶うはずがありませんよね。

そしてアーケードを出たところにあるドゥオモの屋上展望台に登ります。
ドゥオモというのは、天に突き刺さるかのような尖塔がたくさんある大聖堂のことで、14世紀ぐらいから建設が始まりましたがなかなか完成せず、1813年ようやくナポレオン時代のフランスの資金で完成したとのことです。世界最大級のゴシック建築は、ものすごい迫力で見るものすべてを圧倒します。

ミラノ最後の観光は、サンタ・マリア・デレ・グラッツイエ教会にあるレオナルド・ダ・ビンチの『最後の晩餐』の鑑賞です。

『最後の晩餐』はもっとこじんまりした絵だと思っていたのですが、現物はすごく大きく迫力がありました。絵を飾っている部屋はアスナロたちのツアーの貸切だったので、絵に近づいたり、遠ざかったりしながら飽きるまで名画を鑑賞しました。

ヨメ「最後の晩餐は何食べる?わたしは白ご飯!」
アスナロ「ボクはたまごかけご飯!」

バスでミラノ市内を巡りましたが、初めて見るヨーロッパの街並みは素晴らしく、また教科書で見た名画を間近に見ることができ、大満足のうちにミラノ観光を終えました。
  
  

海洋国家ベネチア

ミラノでリゾットとミラノ風カツレツの昼食をとり、午後、バスで3時間ほど走り、夕方ベネチアに到着します。

渡し船に乗り換え、ベネチア本島を目指します。運河には有名なゴンドラがたくさん浮かんでいます。

夜、ヨメとふたりでサンマルコ広場を散策しました。ここベネチアはイタリアの中では治安がいいので夜でも安心です。広場の端まで行き夜の海を眺めました。昼間は暑かったけれど、夜の潮風はとても心地よかったです。

最近のニュースでベネチアの高潮被害を見て心を痛めています。アスナロたちが歩いたサンマルコ広場が水没しているのです。地球温暖化の影響は、1,000年の文化を破壊し始めています。

3日目、ベネチア本島のホテルサルトゥニア・エ・インターナショナルで1泊したアスナロたちは、サンマルコ寺院、ドゥカーレ宮を見学した後、ベネチアングラス工房に入ります。
おじさんが器用に作るガラス細工を見学し、ベネチアンレッドのワイングラスをペアで購入しました。それは非常に値が張り、我ながらよく奮発したものだと思います。
そのワイングラスは、クリスマスや誕生日など特別な日に大事に使っているアスナロ夫婦です。

そしていよいよ本日のメインイベント、ゴンドラ遊覧です。
ゴンドラは狭い運河をゆっくり進んでいきます。橋の上の人たちはみんなこちらに向かって手を振ってくれます。アコーデオンの伴奏で船頭さんの歌うカンツォーネがベネチアの運河にこだまします。
今この瞬間が、今回の旅のクライマックスのひとつかもしれないと思いながら、アスナロ夫婦は夢のような時間をゆらゆら過ごしました。

ヨメ「夢の中をゆらゆら~。」
アスナロ「夢なら覚めないで~。」

今日の昼食は、シーフードフライとイカ墨のパスタです。
ゴンドラを降りて、狭い路地を添乗員さんについてくねくね行ったところにあるレストランでしたが、エアコンはなく、アスナロたち一行はみんな汗をふきながら食事をします。ヨーロッパでは日本みたいにエアコンはほとんど使わないそうです。
『暑い時は、暑い中で、熱いものを食べる。』
これがヨーロッパ人の文化だそうです。日本人からすると、やっぱり夏は涼しいところでおいしく食べたいものですよね。
  
ヨメ「エアコンがなかった昭和の日本みたいね~」
アスナロ「扇子持ってきて良かった~」

ミラノの近代的な美しい街並みも良かったけれど、運河が縦横に走る水の都ベネチアもとても魅力的な街でした。みなさまも是非訪れてみてくださいね。

というわけでございまして、
『初めてのヨーロッパは、イタリアがいいですよ~』の前編【ミラノ・ベネチア編】はここまでとなります。
後編【フィレンツェ・ローマ編】』もご覧くださいね。

あすなろぐ

こんにちは!
わたしは会社を定年退職した60代男性で、現在第二の人生を楽しんでいます。
現在マンション住まいで、ヨメ、ムスメ、ビーグル犬ランの4人で暮らしています。ほかに結婚で独立したムスコが2人います。
わたしぐらいの年齢になると人生経験も少しは豊富になり、みなさまの参考になる情報を提供できるかもしれません。『アラ還からの贈り物』、『マニアックな趣味』をテーマに記事を書いています。いっぱい写真を貼っているので、写真だけでもご覧くださいね。
どうぞよろしくお願いしまーす!

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