国鉄阪和線③~昭和43年の阪和線直行電車に乗ってみよう!鳳→天王寺

マニアックな趣味

こんにちは、アスナロです。
わたしは会社を定年退職した60代男性で、現在第二の人生を楽しんでいます。
わたしぐらいの年齢になると人生経験も少しは豊富になり、みなさまの参考になる情報を提供できるかもしれません。
つたない文章でまことに恐縮ですが、年甲斐もなくブログをやっています。

国鉄阪和線③~昭和43年の阪和線直行電車に乗ってみよう!後編(鳳→天王寺)

阪和線のことをあまり知らない方を対象に、さまざまな情報をお伝えします。
第3回の今回は、『昭和43年の阪和線直行電車に乗ってみよう!後編(鳳→天王寺)』のお話をしますね。

前編(東佐野→鳳)の内容

・昭和43年の阪和線~東佐野駅と直行電車
・昭和43年の阪和線東佐野駅上りホーム
・70系直行天王寺行に乗車する
・電車の宝石箱のような鳳車庫
・おまけ~羽衣線『東羽衣→鳳』

鳳→堺市

和泉府中を定刻に発車した70系直行電車は信太山、北信太、富木を通過し、鳳に到着します。
直行のような優等列車は4番線に到着するので、右側の扉が開きます。

鳳駅には車庫があり車庫から上り天王寺方面のホームに行きやすくするため、普通の駅で優等列車が入る3番線(ホームの右側)は、待避線になっているのです。
その3番線には、各駅停車天王寺行が停まっています。
直行は堺市まで停まらないので、津久野、上野芝、百舌鳥、三国ヶ丘に行く人は、各駅停車に乗り換えます。

約1分の停車の間に多くの乗客が乗り込みました。直行電車は満員近くなっています。
駅員が発車のアナウンスをします。

「直行天王寺行き、まもなく発車します。ご乗車の方はお急ぎください~。」
「次は堺市まで停まりません~。」

車掌が力強く笛を吹き、ドアが閉まります。
直行電車天王寺行はゆっくり走り出します。
左側の5番線には、東羽衣行きの朱色の電車が見えます。今日は2両編成です。
直行電車はうなりながら徐々に加速します。
しばらく行くと、左手に鳳大社が見えてきます。

さらに加速し最高速度に達した頃、津久野駅を通過します。
津久野駅周辺は土地が低く、駅は高架になっています。
直行は最高速度の95kmで走ります。速いです!
  
次の上野芝駅も通過です。
令和の今、上野芝駅は待避線(1980年完成)があり、通過列車はホームのない中央の線路を走りますが、昭和43年の頃は待避線のないホーム2面の普通の駅でした。
上野芝駅の下り和歌山方面ホームには、もともと待避線がありましたが、昭和42年頃、各駅停車の6両編成化のためホーム延長工事を行った際、待避線は廃止されたとのことです。
  
続いて左にカーブしながら百舌鳥駅を通過します。
子供の頃、百、舌、鳥のどこまでが『も』で、どこからが『ず』なのか、ずっと悩んできた『もず駅』です。

この駅は仁徳天皇陵(大仙古墳)の最寄り駅です。
昭和天皇が崩御された昭和64年1月7日土曜日、半ドンで仕事帰りのアスナロは、記帳のために百舌鳥駅で下車し仁徳天皇陵に行ったのを覚えています。
物心がついた頃から昭和で、昭和の時代にどっぷり浸かりながら生きてきたアスナロは、いつか昭和が終わることを頭では理解していましたが、実際に今日で昭和が終わることになり、昭和最後の日に何か記念に残ることをしようと考えたのでした。

ヨメ「私の名前も記帳してくれてありがとう!」
ムスコ(長男)「生後10か月のオレの名前も記帳してくれてありがとう!」
アスナロ「どういたしまして。」

ムスコ(次男)「生まれる前で、オレの名前は記帳なし。残念ーっ!」
ムスメ「同じく、残念ーっ!」

さて直行電車に話を戻します。

さらに走ると線路の両サイドが高くなってきます。
この辺りは低い丘陵地帯で、阪和線は地面を掘って線路を通しているのです。
阪和線の上をまたぐ南海高野線のガードをくぐると三国ヶ丘駅を通過します。
令和の今は、三国ヶ丘駅には快速が停車しますが、昭和43年当時は各駅停車しか止まらない小さな駅でした。

両サイドの壁が徐々に低くなってくると、快調に走ってきた直行電車もやや減速し始めます。
運転士は慎重に制動を効かせながら堺市駅に近づきます。
ホーム手前の踏切を過ぎホームに滑り込みます。

堺市→天王寺

「さかいし~、堺市~、堺市です~。次は終点天王寺まで停まりません。天王寺までの各駅に御用の方は次の各駅停車をご利用願います。」

堺市駅。
昭和43年の当時、昼間は快速は停車せず、直行と各駅停車しか停まりませんでした。

満員の乗客を乗せて、堺市駅を定刻に発車します。
直行電車はうなりながら徐々に加速し、最高速度に近づきます。
左に大きくカーブし短い鉄橋を渡ると浅香駅通過です。
浅香駅のホームの先端は大きな川に突き出ており、長い鉄橋を渡ります。大和川鉄橋です。

鉄橋を渡り終えると、右側にもう1本線路が出てきて3本になります。
直行電車は一番左側の線路を走ります。
一番右側の線路は下り和歌山行きの線路です。

では真ん中の線路は何なのでしょうか?
昭和43年のこの時点では、小学生のアスナロはその理由がわかりませんでしたが、後年理由がわかりました。
今ではもう存在しませんが、当時(あるいはもう少し前)天王寺発杉本町行きという各駅停車がありました。
杉本町で終点になった電車は、この真ん中の線を利用して折り返し、天王寺方面行きのホーム(2番線)に入線するのです。ですから直行電車などの優等列車は、ホーム左側の1番線を通過するのです。

杉本町駅には、もう1本別に線路がありました。通称阪和貨物線です。
当時、杉本町駅から関西本線八尾駅まで、関西本線貨物支線(通称阪和貨物線)があり、多くの貨物列車や団体専用列車が運転されていました。昭和40年から2年間ほどは、特急あすか号(東和歌山⇔名古屋)もこの線路を通っていました。

アスナロの小学校の卒業旅行は伊勢でしたが、高速道路が未整備の当時、伊勢への修学旅行は団体列車で行くのが普通でした。

その日朝早く、阪和線東佐野駅上り天王寺方面のホームに、アスナロたち小学生の団体がいました。
和歌山方面から本日乗る列車の屋根から徐々に見えてきます。やがて列車の顔が全部見えました。

「ディーゼルカーだ!」

その列車は大好きなキハ58(あるいは28)で、急行きのくに号に使用している当時阪和線では最高級の列車なのでした。
いつもは、急行きのくに号として、小さな東佐野駅など見向きもしないかのような猛スピードで通過するのですが、本日は違います。
運転士は慎重に制動を効かせながら東佐野駅までの下り坂を降りてきます。

東佐野駅に急行型気動車キハが停車しました。
夢のようです。
キハ58(28)に乗るのは、4歳で白浜に行った時以来人生2回目です。
心臓をバクバク言わせながら、列車に乗り込みます。
上等なクロスシートが並んでいる車内に入り、うれしさは頂点に達します。

「これから楽しい修学旅行が始まる!それも大好きなディーゼルカーで!!!」
アスナロの長い人生において、5本の指に入るくらいうれしい瞬間でした。

話が脱線してしまいました。
直行電車の話に戻りますね。

最高速度で快調に走る直行電車は、我孫子町、長居、鶴ケ丘を通過し、そして南田辺を過ぎると高架になります。
いろいろな鉄道が、阪和線の高架をくぐります。

まず、南海平野線です。
この鉄道は、大阪市内の今池停車場から平野停車場までを結んでいた路面電車みたいな鉄道で、第一次世界大戦が始まった1914年から1980年まで運行されていました。

美章園を過ぎると、直行電車は徐々に速度を落とし始めます。
やがて近鉄南大阪線(阿部野橋⇔吉野)の線路が下に見えてきます。
令和の今、近鉄南大阪線は阪和線の上をまたいでいますが、昭和43年の当時、近鉄は地上を走っていました。

続いて見えてくるのは関西本線(湊町⇔名古屋)です。
当時、関西本線は非電化で、ディーゼルカーが行きかうのがよく見えました。。

そして、大阪環状線の上を通ります。

小学3~4年だったアスナロは、直行電車に乗るたびに、父に、
「これは何線?」
「これは?」
といつも聞いていました。

最後に見える大阪環状線は一番先に覚えて、
「これは環状線やね!」と言うと、父がにこにこ笑っていたのを覚えています。

終点天王寺

直行電車はまもなく終点天王寺に到着します。
運転士は慎重に制動を効かせながら、ホーム直前の最後のポイントを右に進み、5番線(4番乗りば)に入線します。
直行電車は静かにホームにすべり込みます。
行き過ぎて車止めにぶつからないようにゆっくり進むのです。

1982年1月、朝の通勤客で満員の区間快速(101系6両編成、乗客1400人)が所定の位置に停まれず車止めに激突して多くの負傷者が出たことがあります。満員で慣性の法則が働いたうえ、見習い運転士への教官の指示遅れが原因だそうです。
最近は、自動列車停止装置(ATS)が設置されているので、このような事故は起きません。

「てんのうじ~、天王寺~、終点天王寺です~。」
東和歌山から長時間走ってきた70系直行電車4両編成は、ついに終点天王寺に到着したのでした。

右隣の2番線には、名古屋行きディーゼル急行紀州5号が、その向こうの1番線には新宮行きディーゼル特急くろしお3号が停まっています。

終点天王寺で直行電車を降り、改札口に向かってホームを歩いて、ホームの末端まで来た時、特急、急行、直行の優等列車そろい踏みを見ることができ、鉄道好きには堪らない光景でした。
時代は昭和半ば、古き良き時代の思い出です。

 
最後までお読みいただきありがとうございました。

あすなろぐ

こんにちは!
わたしは会社を定年退職した60代男性で、現在第二の人生を楽しんでいます。
現在マンション住まいで、ヨメ、ムスメ、ビーグル犬ランの4人で暮らしています。ほかに結婚で独立したムスコが2人います。
わたしぐらいの年齢になると人生経験も少しは豊富になり、みなさまの参考になる情報を提供できるかもしれません。『アラ還からの贈り物』、『マニアックな趣味』をテーマに記事を書いています。いっぱい写真を貼っているので、写真だけでもご覧くださいね。
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