こんにちは、アスナロです。
わたしは会社を定年退職した60代男性で、現在第二の人生を楽しんでいます。
わたしぐらいの年齢になると人生経験も少しは豊富になり、みなさまの参考になる情報を提供できるかもしれません。
つたない文章でまことに恐縮ですが、年甲斐もなくブログをやっています。
突然の下血が命を救う~大腸がんステージⅢからの生還【前編】
今回は、がんになったことがない方を対象に、大腸がんの判明から入院、手術、再発宣告を経て全快するまでのアスナロの体験をお話ししますね。
アスナロ43歳のときのことです。
大腸がんはどのようにしてわかったの?
会社で仕事中、急に下痢みたいにキュウとお腹が痛くなり、トイレに駆け込みました。
案の定ピーピーの下痢です。
夕方で薄暗かったので、初めはよくわからなかったのですが、トイレットペーパーについたものは赤く見えました。
一瞬目を疑ってもう一度よく見たところ、トイレットペーパーは真っ赤です。和式トイレの便器も鮮血で真っ赤でした。
頭が混乱し、何が起こったのかすぐにはわかりませんでした。下血だと理解するまで少し時間がかかったような気がします。その時にはもう腹痛は治まっており、血もあまり出ていないようでした。
その後執務室に戻り、しばらく普通に勤務したあと、上司に報告しその日は早めに帰宅しました。
このように大腸がん(この時点では大腸の異変)がわかったのは下血したからです。
直前の人間ドックで便潜血反応は出ていなかったので、下血しなければこのタイミングでは絶対わかりませんでした。
下血がアスナロの命を救ってくれたのだと言えます。
大腸がんになった原因で思い当たることは?
アスナロはたばこを吸いません。飲酒もあまりしない方です。
またどちらかと言えば脂っこい食べものは好まず、野菜、海藻、乳製品などが大好きです。ですから大腸がんになったのは食べものではないと考えています。
それに親や親せきでがんの人は一人もいませんでした。遺伝でもなさそうです。
思い当たることは、このころ仕事が大変忙しく大きなストレスがかかっている時期でした。
アスナロはもともと胃腸が強くなく、仕事でストレスがかかったことにより、がんになったのだと考えています。
みなさま、仕事や家庭などで過度なストレスがかからないように気をつけてくださいね。
病院へ→即入院
下血した翌日の土曜日、近くの病院を受診しました。
検査した医師は「あらあら…」とだけ言い、あまり説明がないまま入院を勧められました。何がなんだかわからないまま、入院することになったのです。
入院後いろいろな検査をしました。依然として詳しい説明はないままです。説明してほしいと訴えても、担当の医師は病室に来てくれません。最初は『忙しいからかも。』と善意に考えていましたが、その後もちゃんと対応してくれません。その病院を不信に感じたアスナロは、セカンドオピニオンをしたいと考え、知人に信頼できる医師(日赤病院)を紹介してもらいました。
セカンドオピニオン
知人の紹介で日赤病院のY医師に診てもらった結果、やはり入院を勧められました。でも近くの病院とは違い、Y医師は詳しく説明してくれます。
Y医師「肛門から30cmぐらいのS状結腸というところに3㎝ぐらいの腫瘍ができています。良性か悪性かは検査しないとわかりません。手術して腫瘍を摘出します。」
アスナロ「人工肛門になるのですか?」
Y医師「腫瘍は肛門から比較的遠いので、人工肛門にはなりません。」
アスナロ「後遺症は残るでしょうか?」
Y医師「大腸は1m~1m50cmほどありますので、30㎝切ったところで後遺症はあまりないと考えます。しかし肛門に割と近い部分ですから、多少の影響はあるかもしれませんが。」
アスナロ「開腹手術ですか?」
Y医師「開腹手術になります。全身麻酔だから痛くないですよ。」
アスナロ「お腹を横に切るのですか?」
Y医師「神経が通っているから横に切ったら痛いですよ。へその上からへそを避けながら縦に切ります。」
アスナロ「…」
他にもいろいろ質問したと思うのですが、Y医師は優しい目で丁寧に説明してくれます。手術は怖いけれど、この先生なら安心できると思いました。
結局、即日入院は必要なく、仕事の整理をしてから7日後に入院、その5日後に手術することになりました。
手術日当日
2002年7月29日(月)、手術の朝、
アスナロは病室のトイレに入り、自分のお腹をしげしげと見ました。
『あと数時間もすれば、このお腹に大きな傷がつくのだ。醜くなるだろうな。麻酔をするとはいえ痛いだろうな。』と考えるうちに、ふとこのまま病院を抜け出して逃げてしまおうかと思ったりもしました。
覚悟の足りないアスナロでした。
時間になり、看護師さんが車いすで病室まで迎えにきました。元気だから歩けるのですが、規則のようで車いすで手術室に向かいます。
途中、別棟の手術室のある棟への渡り廊下を通ったとき、夏のまぶしい太陽と青空が見えました。『世間は夏休みの真っ最中。みんな山へ海へと出かけているんだろうな。アスナロはいまから手術室だ。手術には一番似つかわしくない日だな、今日は。』と思いながら車いすは手術室に向かって進みます。
手術室前で付き添いのヨメと別れ、車いすは手術室の中へ。
自分で手術台に乗りました。
看護師たちは手早く準備し、いよいよ麻酔をする段取りになります。
「ではこれから麻酔をします。」
アスナロは、心の中で1、2、3、...と数えました。
頭のなかに大量の液体が流れるような感覚のあと、意識不明になりました。
...
麻酔から覚めて
「アスナロさん、終わりましたよ。気が付きましたか?」
遠くのほうで誰かが呼んでいる声が聞こえてきます。これから麻酔をすると聞いてから1分も経っていない感覚です。
「アスナロさん、起きてください。手術は成功しましたよ。」
何人かでアスナロの身体を揺さぶっています。
あとから聞きましたが、手術時間は4時間を超えていたそうです。
『だるい、からだ全身がだるい』
というのが、気がついてからまず感じたことでした。
麻酔の影響だと思うのですが、とにかくだるいのです。特に足が冷え切っていてだるくて我慢できないほどでした。
場所は、たぶん処置室だったと思いますが、うつらうつらの状態だったので、いまどこにいるのかわかりません。
そのあとで病室に移動し、病室でも足がだるいと訴えたのだと思います。
父と知人が私の足を一所懸命マッサージしてくれたのを覚えています。
当日の夜は、麻酔をしているとは言え、お腹の奥のほうが今まで経験した中で一番痛く、苦しくてほとんど眠れませんでした。
夜中、付き添いで同じ部屋に寝ていたヨメが部屋のトイレに行くのに気づきました。
『トイレから出てきたら、アスナロの様子を見に来る。』と思って待っていました。
ヨメは、トイレから出るとアスナロの方は見向きもせず、そのまま自分のベッドに行って眠ってしまいました。アスナロが痛みに耐えて苦しんでいるのに、なんて薄情なヨメだとそのときは思いました。
でもヨメも疲れていたのです。
急な発病で心配をかけて、このときにはヨメは本当の病名を知っていて、そして手術が成功して、ほっとして力が抜けたのに違いないのです。
アスナロが少し元気になってからはそのように考え、『心配をかけてすまない。』とヨメに謝るとともに、その優しさに感謝したのでした。
この時点では、アスナロはまだ本当の病名を知らないままです。
後編に続きます。
後編は2021年8月公開予定です。
是非お読みくださいね。
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