こんにちは、アスナロです。
わたしは会社を定年退職した60代男性で、現在第二の人生を楽しんでいます。
わたしぐらいの年齢になると人生経験も少しは豊富になり、みなさまの参考になる情報を提供できるかもしれません。
つたない文章でまことに恐縮ですが、年甲斐もなくブログをやっています。
突然の下血が命を救う~大腸がんステージⅢからの生還【後編】
今回は、がんになったことがない方を対象に、大腸がんの判明から入院、手術、再発宣告を経て全快するまでのアスナロの体験の【後編】をお届けしますね。
前編は、2021年7月25日に公開しています。ご覧ください。
前編の内容
・大腸がんはどのようにしてわかったの?
・大腸がんになった原因で思い当たることは?
・病院へ→即入院
・セカンドオピニオン
・手術日当日
・麻酔から覚めて
この時点では、アスナロはまだ本当の病名を知らないままです。
徐々に回復→自分が『がん』だと初めて知る
手術の翌日(2002年7月30日)、アスナロは個室から大部屋に移ることになりました。
当然車いすか、あるいはベッドのまま移動するのかと思っていたのですが、
看護師さんが来て、
「立ってください。部屋を移動します。」と悪魔のようなことを言われるのです。
アスナロ『え~っ!お腹が痛くて、まっすぐ立てそうにないのに~。』と思いましたが、
「早く立って歩けば回復が早くなる。」とのことなので、しぶしぶ痛いお腹を押さえつつ、背中を丸めて病室を移動するアスナロなのでした。
こんな情けないアスナロでしたが、何日か経つと徐々に回復してきて、最初は液体みたいだったおかゆも、少しずつかためのおかゆに変わってきます。
少し元気が出てきたら、医療保険の手続きが気になります。
そういえば、まだ正式な病名を聞いてないのを思い出し、Y医師が巡回に来たとき、病名は何か聞いてみました。
Y医師「摘出した部位の検査が終わるまでわかりません。わかったら連絡します。」
それで2~3日待ってみましたが、一向に教えてくれません。
回診に来たY医師に再度聞いてみましたが、やはりまだとのことです。
『そんなものなのかなあ。』と思ったものの、何か腑に落ちない感じがしました。
そこでY医師に、「医療保険の手続きの関係もあるので、もしわかっていたら教えてほしいです。」と言ってみました。
Y医師は「確認してみます。」と言い、一旦立ち去りました。
しばらくしてY医師が戻ってきて、
「実は、あなたの奥さまに口止めされていたので今まで言えなかったのです。いま奥さまに電話して了解が取れました。
アスナロさんの病名はS状結腸腫瘍で悪性です。ステージは3です。腫瘍自体は前に説明したとおり3㎝ほどですが、少し浸潤しており周辺にも広がっている可能性があるので、腫瘍を中心にして30㎝ほど大腸を切除しています。おそらくこれで大丈夫だと思いますが、退院後念のため予防的に抗がん剤が必要だと考えます。」
以上の説明でした。
つまり病名は、『大腸がん』だったのです。
がんと聞いてショックでしたか?
読者「がんと聞いてショックでしたか?」
アスナロ「いいえ、ショックというより納得できたというのが当たっています。」
読者「納得ですか?」
アスナロ「はい。セカンドオピニオンで初めてY医師の診察を受けて家に帰ってきたとき、すぐに布団を敷いて甲斐甲斐しく世話をしてくれるなど、妙にヨメが優しかったのがまず不可解でした。」
読者「なるほど。ヨメさんが急に優しくなると危険なのですね。」
アスナロ「それに、手術前にY医師から『良性か悪性かは手術後検査をしなければわかりませんが、念のため腫瘍の周りを多めに切除しておいたほうが、あとから悪性とわかっても再度開腹手術する必要がないのでお勧めします。』という説明があり、
『そんなものかなあ。』と思いながらも何か腑に落ちなかったからです。」
初めてY医師の診察を受けたとき、ヨメはY医師から『大腸がん』だと聞いていたので、妙に甲斐甲斐しく優しかったのです。
また『大腸がん』だとわかっていたから、腫瘍部分だけでなく、約30㎝も大腸を切除したのです。
『大腸がん』と聞いて、これらのことがスッキリ納得できたのでした。
順調な回復が一転→腸閉塞を発症
手術後1週間ほど経過し、『このままなら予定どおり、あと10日もすれば退院できそうかな。』と思っていたところ、ある日ひどい吐き気に襲われ、何度も何度も吐いてしまいます。
とりあえず、看護師さんに吐き気止めの薬をもらいましたが、まったく効きません。
吐くとしばらくは楽になるのですが、またすぐにお腹がパンパンに張ってきて吐いてしまいます。食べてないので出るものがないはずなのに、胃の中から気持ち悪い緑色の液体がいっぱい出てきます。
夜、Y医師が病室まで来てくれました。
アスナロ「先生、助けてください。お腹が張って苦しいです。」
絞りだすような声で懇願します。
診察のあと、Y医師は、
「腸閉塞で腸の働きが停まっていて、胃から下には流れなくなっています。胃に管を入れます。楽になりますよ。」とのこと。
管は鼻から入れます。入れるとき苦しかったですが、管が胃に達すると出るわ出るわ、胃の中に溜まっていた液体が『これでもか!』というぐらいいっぱい出てきます。パンパンに張っていたお腹がみるみるしぼんでいきます。
このようにして何度も何度も吐いた悪夢のような1日からやっと解放されたのでした。
点滴くんの家来を連れて散歩~夕日がたこ焼きに見える
この日から絶飲絶食の日々が始まりました。
点滴の栄養のみで生きる、まさに点滴人間です。
普通の点滴では栄養分の濃い液体を入れることができないので、管の太い点滴を肺静脈に刺します。栄養分の濃い点滴は血管に良くないので、すぐに心臓で薄めて全身に流すのです。麻酔をしてその太い点滴を肺静脈に刺すのですが、痛いのなんの!洒落にならない痛さです。医師が「麻酔をするから痛くないですよ。」と言っていたのに、見事にだまされたアスナロでした。
でもおかげ様で、栄養は十分足りているので元気です。
毎日、点滴くん(4つのコマがついた点滴をぶら下げるやつ)を家来に、病院中を散歩します。
廊下や中庭をグルグル何周も歩くのです。運動不足で落ちていたふくらはぎの筋肉が少しずつ回復してきます。
夕方、点滴くんと一緒に、病室のある10階の廊下から海に沈んでゆく夕日を眺めていると、常にお腹が減っているためか、沈む直前の太陽が『たこ焼き』に見えてきます。
会社の上司に「沈む太陽がたこ焼きに見えます。」とメールしました。
後日退院してから聞いたところ、「アスナロ君からたこ焼きメールが来た。」と会社のメンバーみんなに言って回ったことを知りました。
退院→再発宣告→全快
点滴人間の間、ずっと絶飲絶食は続いていましたが、栄養は十分足りていたのでとても元気でした。
腸閉塞が回復しない場合、再度開腹手術が必要とのことでビクビクしましたが、点滴生活も3週間ぐらい経過すると腸が徐々に動き出し、9月中旬やっと退院できたのでした。
入院期間は53日間。当初予定より1か月も長い入院生活でした。
会社では『アスナロ君は再起不能ではないのか?』とのうわさをしていたらしいです。
時間は流れ、退院の2年後、
大腸がんの腫瘍マーカーが上がってきてがん再発宣告を受け、悪夢の抗がん剤治療が始まります。抗がん剤治療は5年ほど続きますが、幸運にも徐々に腫瘍マーカーも落ち着いてきました。そして、2012年、手術後10年が経過し、アスナロの『大腸がん緊急事態宣言』もやっと解除されたのでした。
抗がん剤治療についての詳細は、2021年7月2日付のブログ
『大腸がん再発宣告!ダメ元で試した抗がん剤の内服薬に救われた命』
をご覧くださいね。
みなさま、若いうちからがんの予防を心がけてくださいね
みなさま、がんにならないでくださいね。
がんは予想以上につらいものですよ。特に再発宣告を受けてからの抗がん剤治療が非常につらいものでした。
若いみなさま、今は健康だから暴飲・暴食・喫煙をあまり気にしないかもしれませんが、30歳を過ぎると徐々に身体にダメージを与えますよ。健康を過信してはいけませんよ。
アスナロは43歳でがんになりましたが、がんというものは急に大きくならないものです。おそらく30歳代からがんがあって、だんだん大きくなってきたのだろうと考えています。
アスナロの知人・友人で、40~50歳代でがんのため亡くなった方が4~5人ほどいます。そのほとんどが喫煙者で、肺がんが多いです。
アスナロのこのブログを読んで、健康管理に気をつけるようになり、少しでもがんになる人が減ればいいなあと思っています。
ヨメ「がんになるのはお父さんだけで十分。もう誰もがんにならないで!」
アスナロ「うん!」
最後までお読みいただきありがとうございました。
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