こんにちは、アスナロです。
わたしは会社を定年退職した60代男性で、現在第二の人生を楽しんでいます。
わたしぐらいの年齢になると人生経験も少しは豊富になり、みなさまの参考になる情報を提供できるかもしれません。
つたない文章でまことに恐縮ですが、年甲斐もなくブログをやっています。
国鉄阪和線①~『砂川奇勝』
阪和線や阪和沿線のことに興味がある方を対象に、自称阪和線の専門家アスナロがさまざまな話題をお届けします。
今回は、阪和沿線にある名勝『砂川奇勝』についてお話ししますね。
戦前の大阪にカッパドキアがあったって本当?
みなさまは、『砂川奇勝』という景勝地がかつて大阪府南部(和歌山県との県境近く)にあったことをご存じでしょうか?そこは別名『泉州の耶馬渓(やばけい)』とも呼ばれており、トルコのカッパドキアみたいな一大景勝地でした。
「砂川奇勝?初耳です。」
「黒川紀章なら知っているけど、若尾文子の旦那様の…」
「それはどこにあったのですか?」
アスナロ「砂川奇勝はJR阪和線和泉砂川駅から山手へ2kmほど行ったところにありました。いや正確に言えば今でもあります。」
「えっ、今でもあるのですか?」
アスナロ「規模はかなり小さくなっていますが、砂川奇勝は現存しています。」
『砂川奇勝』ってどんなところ?
『砂川奇勝』は、洪積世(今から約200万年前に始まりました)に、海底の砂などが積み重なったものが隆起して丘陵になったものです。
砂岩でできた丘は元が砂ですから非常にもろく、長い年月の間に雨水によって徐々に削られていきます。削られた姿が、砂が流れる川のように見えたので、『砂川』の名がつけられたと言われています。
ヨメ「ふ~ん。砂が流れる川のように見えるから『砂川』か~。わかりやすいやん!」
アスナロ「恐れ入ります~。…」
人工的には作り出すことができない不思議な形をした『砂川奇勝』は、広大な範囲に広がっており、中には猛虎や飛竜の姿に見える岩もあったそうです。
ここは大阪でも随一の景勝地としてにぎわい、古くは岸和田のお殿様も遊覧に来るぐらいの一大景勝地だったらしいですよ。
ヨメ「下にぃ~、下に。えぇい!頭が高い!控えよー!」
アスナロ「ははー。…」(汗)
阪和電鉄の開通
昭和5(1930)年6月16日、現在のJR阪和線の前身である阪和電気鉄道が大阪の天王寺から和歌山まで開通しました。
砂川奇勝への最寄り駅となる『信達駅』(昭和7年阪和砂川駅に改称、昭和19年和泉砂川駅に改称)ができると、砂川奇勝を訪れる人々はますます増加しました。
当時、大阪市内の小学校では、電車に乗って砂川奇勝まで遠足に来ることが人気になっていたそうです。
第2の宝塚、『砂川遊園』
昭和10(1935)年、駅と砂川奇勝との間に『砂川遊園』がオープンしました。阪和電鉄が、『第2の宝塚』めざして砂川遊園を開発したのです。
園内には大きな池が4つもあり、遊覧ボートがたくさん浮かんでいました。また動物園やキャンプ場などの施設も設けられ、駅から砂川遊園への道路には桜並木が整備されました。周辺には旅館やレストランなども次々にオープンし、観光シーズンになると1日に5万人以上の人々が訪れる一大観光地だったようです。
ヨメ「わたしも行きたかったワン!。」
アスナロ「ボクもです~。ワン!」
しかし、砂川奇勝と砂川遊園が一体となったこの人気の観光地は、短命に終わることになります。
昭和10年代、戦争の足音が近づくにつれて訪れる人々が少なくなり、戦後は住宅地として開発され往年の姿ではなくなってしまったため、やがて人々の記憶から消えていったのです。
現在の砂川奇勝
現在、砂川奇勝はその一部が公園の一角に残されています。
アスナロとヨメも、2020年9月『砂川奇勝』を訪れました。
車で出かけたのですが、現在その大部分が住宅地になっていて道路が複雑に入り乱れており、また『砂川奇勝』という案内板がどこにもなかったので、見つけるのに少し時間がかかりました。
ヨメ「砂川奇勝にまだ着かないの?」
アスナロ「はい!もう少々お待ちくださいませ。」(汗)
汗をかきながら、やっと到着したのですが、今度は駐車場がありません。やむなく砂川奇勝の入り口近くの住宅地に車を止め囲いの中に入りました。
中に入ると目の前に砂岩の崖がそびえ、その上にも民家が何軒か建っているのが見えます。崖の上にも住宅地が広がっているのです。
白い砂岩の崖は雨水の流れた跡がついていて、まるで砂の川が流れているように見えます。なぜ『砂川』という名前がついたのか納得できた瞬間でした。
砂川奇勝を構成する和泉砂岩はこのあたり一帯に広がっています。
アスナロが小学生だったとき、化石掘りに行った砂川奇勝近くの丘も白い砂岩でもろかったので、化石を掘りやすく貝の化石がいっぱい取れたのを覚えています。
遠い昔、この辺り一帯は海の底だったのですね。
それにしても、…
名勝『砂川奇勝』を後世に残そうという動きがなかったことが悔やまれます。
もし今でも往時と同じ規模の『砂川奇勝』が残っていたら、トルコのカッパドキアみたいな一大観光地になっていて、きっとNHKのブラタモリが来ていたに違いありません。大阪の、日本の、そして世界の宝物を失ってしまったような感覚です。本当に残念です。
まとめ
・『砂川奇勝』はJR阪和線和泉砂川駅から山手へ2kmほど行ったところにある。
・『砂川奇勝』は大阪でも随一の景勝地としてにぎわい、古くは岸和田のお殿様も遊覧に来るぐらいの一大景勝地だった。
・昭和5(1930)年、現在のJR阪和線の前身である阪和電気鉄道が大阪の天王寺から和歌山まで開通し、昭和10(1935)年、駅と砂川奇勝との間に砂川遊園がオープンすると、観光シーズンには1日に5万人以上の人々が訪れる一大観光地になった。
・現在、砂川奇勝はその一部が公園の一角に残されている。
・今でも白い砂岩の崖は雨水の流れた跡がついていて、まるで砂の川が流れているように見える。まさに『砂川』の名前どおりです。
・名勝『砂川奇勝』を後世に残そうという動きがなかったことが本当に残念。
昔の雄大な砂川奇勝とは比べ物になりませんが、みなさまも戦前の一大観光地だった名残を体感しに、一度訪れてみてはいかがでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
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